綿の種類

綿の種類

綿は、植物学上はあおい科Genus Gossypium(ゴシピウム属、ワタ属)に属します。
大きく分けて

1. Gossypium arboreum(アルボレウム)
2. Gossypium herbaceum(ヘルバケウム)
3. Gossypium barbadense(バルバデンセ)
4. Gossypium hirsutum(ヒルスツム)

の4つの種類に分類され、木綿庵において和綿と呼んでいるのは1. Gossypium arboreum(アルボレウム)、洋綿と呼んでいるのは4. Gossypium hirsutum(ヒルスツム)に分類される種類と思われます。
 ただし、綿の種類に関する説明についても「綿の歴史」と同様に、諸種の資料によって内容に少しずつ異同が見られ、どの資料が「正しい」のか細かい点では判断に迷うところがあります。特にWEBサイトにおいては依拠する資料(出典)が明示されていないことが多く、確かめることもままなりません。
 そこで、本項では検証を容易にするため、あえて各種資料の説明をまとめることはせず、それぞれの解説をそのまま引用紹介するにとどめました。
 なお、木綿庵ではさまざまなイベントで綿の説明をする際には、基本的には(財)日本綿業振興会が監修、発行している資料を参考にしています。

『はじめての綿づくり』

大野泰雄、広田益久編、財団法人日本綿業振興会監修、2000年、木魂社発行、p24-p25

 綿花の分類はいろいろあって複雑で、大変むずかしい。それは品質改良のため、交配が行われ、また自然に雑種ができるためである。
 綿花は、植物学上はGenus Gossypium(ゴシピウム属)に属し、現在、世界の綿花は次の4種類に分類される。

1. Gossypium arboreum(アルボレウム)
2. Gossypium herbaceum(ヘルバケウム)
3. Gossypium barbadense(バルバデンセ)
4. Gossypium hirsutum(ヒルスツム)

アジア綿(Asian Cotton)系の綿

 アルボレウムとヘルバケウムは、古くはインドを原産地とし、旧大陸に広く行きわたっている。主としてアルボレウムはインドより東方へ、ヘルバケウムは西方、北方へ広がった。日本や中国で古くより栽培されている綿花はアルボレウムと考えられている。

海島綿(Sea Island Cotton)系の綿

 バルバデンセとヒルスツムは新大陸生まれである。
 バルバデンセはペルー北部が発祥地と考えられている。そこから中米や西インド諸島を北上し、ペルー綿、シーアイランド綿、さらにエジプトに渡り、エジプト綿、スーダン綿となり、現在では超長繊維の生産地としては、この両国と中国、ソ連、インドが大部分を占めている。

アップランド綿(Upland Cotton)系の綿

 ヒルスツムは、メキシコ南部、中央アメリカに発し、米国で品種改良されたものが、アップランド綿といわれる。この綿は、19世紀に世界各国にひろがり、現在では世界の綿花生産の約90%が、このアップランド綿であるといわれている。
 旧大陸生まれのアルボレウムとヘルバケウムは、染色体の数が13個、新大陸のバルバデンセとヒルスツムは26個あり、したがって染色体の数のちがうものでは交配はできない。また品種不明の綿は染色体の数をかぞえることによってその原種をたどることができる。
 なお、綿花の分類を繊維の長さによって分けると、次の3種類に分類するのが一般的である。(最も多く栽培されている順に記した。)

1. 中繊維綿 主としてアップランド綿 7/8インチ(22.2ミリ)~1 3/32(27.8ミリ)
2. 長繊維綿 主としてエジプト綿 1 1/8インチ(28.6ミリ)~1 1/2(38.1ミリ
3. 短繊維綿 主としてアジア綿 13/16インチ(20.6ミリ)以下

一つの国でも多数の品種の綿が栽培されており、またその品質も異なっている。それは綿花の品質退化を防ぐため、あるいはよりすぐれた品質の綿花を生産するため、常に品質の改良が行われているためである。

『もめんのおいたち』

財団法人日本綿業振興会編集/発行、平成13年(2001)、p14-p20

 綿花は、植物学上は、あおい科Genus Gossypium(ゴシピウム属)に属し、現在、世界の綿花は、次の4つの種類に分類される。

1. G.arboreum(アルボレウム)
2. G.herbaceum(ヘルバケウム)
3. G.barbadense(バルバデンセ)
4. G.hirsutum (ヒルスツム)

 アルボレウムとヘルバケウムは、古くはインドに発し、旧大陸に広く行きわたった。主として、アルボレウム、インドより東方へ、ヘルバケウムは、西方、北方へ広がった。日本や中国で古くより栽培されていた綿花は、アルボレウムと考えられる。しかし現在、コマーシャル・ベースで栽培されているのは、インド、パキスタンのデシ綿に限られている。
 バルバデンセとヒルスツムは、新大陸生まれで、バルバデンセはペルー北部が発祥地と考えられ、そこから中米や西インド諸島を北上した。ペルー綿、シーアイランド綿、さらにエジプトに渡り、エジプト綿、スーダン綿となり、最近は、アメリカ、CIS、インド、中国でも栽培されている。現在日本で使われている超長繊維綿の多くは、アメリカのピマ綿、エジプト綿などである。
 ヒルスツムは、メキシコ南部、中央アメリカに発し、米国で品種改良されたものが、アプランド綿といわれる。これは、19世紀に世界各国にひろがり、現在では、世界の綿花生産の約90%が、このアプランド綿であるといわれる。
 旧大陸生まれの、アルボレウムとヘルバケウムは、染色体の数が13個、新大陸生まれのバルバデンセとヒルスツムは26個あり、したがって染色体の数のちがうものでは交配はできない。
 以上の4種のほかに、ハワイ諸島に G.tomentosum(トメントスム)という種類のものがあり、これは野生種であるが、繊維ができる品種である。オアフ島、マウイ島などで原生しているが、太平洋の真ん中の火山島にどのようにして渡ったのだろうか。
 このほかゴシピウム属の仲間ではあるが、繊維をつくらない、あるいはごく短い繊維しかつくらない品種が20種ほど、世界各地に野生で残っている。
 現在、日本で使っている主な綿花を、繊維の長さによって分類すると、一般的には次のように区分される。

超長繊維綿・長繊維綿

 通常1 1/8インチ(28.6ミリ)から1 1/2インチ(38.1ミリ)の長い繊維長をもつもの。なかでも、1 3/8インチ(34.9ミリ)以上の非常に長い繊維のものは、超長繊維綿という。このような長い繊維をつくるのは主にバルバデンセで、これらの綿花で紡出される綿糸は50番手以上の細いものである。これらの綿糸は、高級ブロード、ローンなど繊細な風合をもつ高級綿製品やカタン糸などに使われる。また用途によっては高品質の太番手糸にして用いられることもある。
この分類に含まれる主な綿花は次のとおりである。

・アメリカのスーピマ綿
・エジプト綿(ギザ45、ギザ70、ギザ88)
・スーダン綿(バラカット、シャンバット)
・ペルー綿(ピマ)
・インド綿(スビン、DCH32)
・中国綿(新疆ウイグル146綿)
・CIS綿(ファインフィルタード綿)

中繊維綿・中長繊維綿

 中繊維綿は13/16インチ(20.6ミリ)から1インチ(25.4ミリ)、中長繊維綿は1 1/32インチ(26.2ミリ)から1 3/32インチ(27.8ミリ)の繊維長をもつもので、ほとんどがヒルスツムの仲間で、日本が輸入する綿花の内80%以上はこれである。これらの綿花で紡出される綿糸は通常6番手から50番手までであって、機能性、実用性をもった製品の原料となり、したがって用途も広範にわたっている。この分類に含まれる綿花の種類は極めて多く、主なものをあげると次のとおりである。

・アメリカ綿(スーピマ綿を除く大部分)
・オーストラリア綿
・CIS綿(一部長繊維綿を除く大部分)
・中国綿(少数の新疆長繊維綿を除く)

そのほか、西アフリカ綿、シリア綿、トルコ綿、ブラジル綿、パキスタン綿(デシを除く)など、生産国は多い。

短繊維綿

 この分類に含まれるものは、通常13/16インチ(20.6ミリ)未満の綿花であって、紡績用には13番手以下の太番手用(主としてネル、キャンバスなどに用いられる)にごく少数使用されるが、大部分は紡績用以外の用途、すなわち、ふとんわた、中入れ綿、衛生材料などに用いられる。この分類に含まれるものは次のとおりである。

・インド綿(ベンゴール・デシ、コミラなど)
・パキスタン綿(デシ)

 日本で江戸時代に栽培していたのはこのグループで、現在でもわずかではるが、和綿として農家に受け継がれている。
 各国では、綿花の品質退化を防ぐため、あるいはよりすぐれた品質の綿花を生産するため、常に品種の改良を行っているので、一国の中でも品種は多様であり、品質にも相違がある。中繊維綿では、ほとんどの国でアメリカ・アプランド綿種が植付けられているが、その土地の気候土壌の違いにより、綿花の品質に微妙な相違ができる。その上その土地にあった品種改良が行われる結果、各国の綿花はそれぞれ異なった特性をもつこととなる。
 近年さらに、ハイブリッド技術、遺伝子工学の利用によって、綿花の品質や収量の向上に努力しており、特にハイブリッド化はインドでは人手による方法で経済的に成功しており、アメリカでも遺伝子工学で病虫害に強い綿花の開発を推進し、将来に明るい希望を与えている。

オーガニック・コットン(有機栽培綿)

 米国では、有機栽培認定基準というものがあって、その基準にしたがい、合成化学物質を3年間使用しない畑で、一切合成化学物質を使わずに栽培した綿花をオーガニック・コットンという。農薬や病虫害管理、天然肥料は決められた基準や方法で行わねばならないので、コストは通常の栽培よりかなり高くなるが、環境保護、土地保全を重視する農家とそれを支える消費者・業者が、オーガニック・コットン商品の普及に力を入れている。

茶綿(カラード・コットン)

 通常綿花は白と思われているが、それは白い綿花を優先して栽培してきたからで、元来綿花の中には茶色い色の付いた繊維をもつものがある。現在は、キャラメル色と緑がかったものの2種類が栽培されており、これに媒染剤の処理によって、色調のバリエーションと色の安定化をはかっている。天然の色合いの味わいと染色が不要ということで、少量だが、栽培されている。

『有用植物分類学』

佐藤正己、昭和32年(1957)、養賢堂、p295-297

 ワタ属(Gossypium)広く熱帯地方に分布する約40種の草本または灌木を含み、繊維植物として温帯地方にも栽培される。綿として利用する部分は種子に生ずる毛であるが、殆んど純粋にセルローズからなる中空な単細胞で、長さは種類によって異り、9~51㎜の間にある。種類によつて毛が種子から離れ易いものと、離れにくいものがあり、撚曲度が大きく紡績用にむくものと、反対に撚曲度が小さく紡績用に不適で、詰綿や脱脂綿に適当なものとある。
 ワタは有史以前から印度では実用に供されていたが、日本に渡来した年代は不詳で、万葉集や古書に出ている綿は、必ずしも今日のワタ属の植物を指すとは断定できないと云われる。徳川時代には全国に栽培され、綿製品は一般に普及したが、絹や麻に代つて綿が庶民の主要衣料となつたのは徳川幕府時代の中期以後である。
 紡績業は最も古い栽培地の印度から起つた家内工業で、18世紀までは第一位を誇ったが、機械の発明によつて紡績業は英国に移り、やがては日本や米国にも勃興して覇を争うようになり、棉の栽培法も米国で大規模な企業栽培を発達させるようになつた。

アジア棉 亜細亜棉(G.herbaceum OLIVER)

 1年生の草本で、古くから印度で栽培された東洋の在来種で、低温多湿の気候にも適すので日本にも栽培されるが、アメリカでは見られない。花は黄色が普通で、白色や紅色のものもある。綿毛は種子から分離し難く短大で撚曲度が少い。
〔用途〕紡績用には不適当であるが、張力が強いので、詰綿や脱脂綿に適する。

カイトーメン 海島綿(G.barbadense L.)

 熱帯アメリカ原産と推定される種類で、エジプトで大規模に栽培される。高さ2m内外の1年草で、花は鮮黄色、綿毛は白色で絹糸状の光沢があり、かなり長く品質優良であるが収量は少い。
〔用途〕製糸用に適当とされる。

リクチメン 陸地棉(G.hirsutum L.)

 古くから中米で栽培された晩生種で、米国で最も多く栽培されている種類である。花は大形で、白色または淡黄色を呈し、蒴果は上向きに生じ、4~5片に裂開する。個々の品種があり、アジアでも栽培されている。綿毛は長く、白色でよく撚曲する。
〔用途〕紡績原料として、最高級品とされる。

ナンキンメン 南京棉(G.Nanking MEYEN)

 原産地不詳の1年草で、東亜の温帯からアフリカまで広く栽培されている。花は黄色、綿毛は白色またはカーキ色を呈し、種子から離れ難い。
〔用途〕綿毛を詰綿や脱脂綿とする。またすべてのワタ属の種子は少量の油脂を含み、搾油したものが綿実油で、大豆油と共に安価な植物油として用途が広い。サラダ油やオリーブ油の代用とし、マーガリンや石鹸の原料とし、搾り粕は家畜の飼料とする。種子はまた催乳薬の原料となる。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』

第24巻 1988、小学館、p795-796

ワタ〔綿〕cotton アオイ科ワタ属 Gossypium の繊維作物で、種子表面の毛(繊維細胞)を利用する。

〔栽培種・系統〕

 主要な栽培種としては4種ある。G. herbaceum Oliv. (シロバナワタ、1年生)とG. arboreum L.(キダチワタ、多年生)はともにエチオピア南部の原産。古代に前者は西アジアに、後者はインドに伝わって栽培され、ともに東南アジア一帯に広まってアジアメンとよばれる。中国に伝わったキダチワタから1年生のシナワタが分化し、11世紀から栽培され、これが日本にも伝来した。G. barbadense L.(カイトウメン)は中南米地域原産で、カリブ海域に広まって1年生の現在の栽培種を生じ、16世紀にはアフリカに伝えられてエジプトメンを生じた。また、G. hirsutum L.(リクチメン)も古くはメキシコなどで栽培されていたが、18世紀からアメリカ合衆国で大量栽培され始め、いまでは南アメリカ各地、ソ連、東南アジア、エジプトを除くアフリカなど、世界中でもっとも広く栽培されている。

〔形態〕

 現在栽培されているワタはおもに1年生の半木状草本で、多くの枝を分かち、草丈0.6~1.2メートルになる。葉は種によって2~4の切れ込みがあり、長さ5~10センチ。夏に枝の葉腋から結果枝が出て、その各節に花がつく。花は3枚の包葉に包まれ、内側に萼がある。花弁は5弁で、リクチメンは白、黄白色、アジアメンは黄、白、紅色など。いずれも開花後赤く変色する。径は約6センチ。自花受精後できる蒴果(さくか)は長さ3~4センチのモモの実形で緑色。内部は種によって3~5室あり、1室に7~8個の種子ができる。成熟すると蒴果は褐色になり、乾いて裂開する。これを開絮(かいじょ)とよぶ。各種子の表皮に繊維毛が生え、それが白い塊になって開絮により露出し膨らむ。種皮の繊維は長短いろいろあり、また種や品種によって平均長も異なるが、長いものはカイトウメンの5センチ以上、リクチメンは3センチ余り、アジアメンは2センチくらいである。繊維は薄いクチクラ層に覆われたセルロースの重層構造で、中心は空洞になり、全体が撚(よ)れている。この撚れは製糸のために重要な性質で、カイトウメンはもっとも多く、アジアメンはもっとも少ない。繊維をつけたままの種子を実綿(みわた)といい、実綿から種子を除いたものを繰綿(くりわた)または綿花(リント Lint)という。また繊維を除いた種子は綿実(めんじつ)といい、16~20%のタンパク質、18~24%の油を含む。

〔栽培〕

 ワタは生育に高温が必要で、年平均気温15℃以上の熱帯から温帯の南部に栽培される。日本やアメリカ合衆国の栽培北限は北緯37度、ソ連のウクライナ地方では夏季高温のため北緯47度まで栽培される。また日照を多く必要とし、生育期間の40%以上、とくに結実期が晴天であることが必要である。アメリカ合衆国の南部、いわゆるコットンベルトは適地として知られる。夏の終わりから秋に開絮した実綿手摘みあるいは機械摘みし、工場に送ってローラー型あるいは鋸歯型の繰綿機にかけて綿花をとる。繰綿歩合はリクチメンで30~35%、アジアメンは25~30%である。ワタは連作障害の少ない作物で、アメリカ合衆国では長期連作、あるいはワタ2~3年連作のあとトウモロコシやダイズを輪作して地力維持を図っている。連作の場合も冬作にマメ科作物をつくり、これを鋤き込むことが多い。土壌の種類に対しては適応性が大きい。酸性にはやや弱いが、塩分に対しては各種作物のうちでもっとも強いほうであるため、各国では塩分の多いアルカリ性土壌で栽培されるのが一般である。

〔栽培史〕

 ワタは紀元前5,800年ころのメキシコの遺跡から果実が発掘されている。またペルーでも前2,400年のワカ・プリエタ遺跡から織物の破片が発見されている。一方インドのモヘンジョ・ダーロ遺跡の前3,500年の地層から綿糸が発掘されている。これらのことから、ワタは古代から人間に利用されており、しかもインドとペルーでそれぞれ独自に利用され、織物がつくられていたことが明らかである。インドは紀元前数世紀から綿産国としてヨーロッパにまで知られその後東南アジア、アラビア、アフリカ、南ヨーロッパにワタ作が広まった。エジプトでは古代から繊維作物としてアマがつくられていたが、紀元のすこし前ころからワタが利用されるようになった。中国には後11世紀ころから重要な作物として、とくに華中・華南に栽培されるようになった。アメリカ大陸ではコロンブスが来航した時代には、すでに中南米、西インド諸島一帯にワタが栽培されていた。そして西欧人の手によってカリブ海諸島のワタすなわちカイトウメンが、西アフリカやスーダンに伝えられ、エジプトメンが誕生した。一方、南アメリカのペルーなど内陸地のワタ、すなわちリクチメンは18世紀に入ってアメリカ合衆国に入った。おりしも1793年にホイットニーが繰綿機を発明したことにより、イギリスのランカシャーに大紡績業がおこり、アメリカ合衆国は原綿の供給地として大規模な企業栽培が行われた。以後リクチメンは世界各地の熱帯、亜熱帯諸国に広まって生産されるようになった。

 日本へのワタの伝来は、8世紀と古い。しかしそれは栽培が定着せず、その後16世紀末に中国、朝鮮から種子が導入されたことにより九州で栽培が始まり、しだいに関東地方にまで広まった。日本ではそれまで生糸のことをワタとよんでいたが、以来モメン(木綿)という呼び名が新来作物につけられ、しだいにこれがワタの名を奪うようになり、繭からとるものはマワタ(真綿)とよばれるようになった。江戸時代の各藩では、ワタ栽培の振興に努め、日本人の使うもっとも主要な衣料繊維として利用された。当時の主要品種としては会津在来、紫蘇綿など多数があった。明治時代に入っても官営紡績工場が設けられてワタの栽培が奨励され、明治20年(1887)ころには作付面積10万ヘクタール、綿花2万5000トンの生産があり、ほぼ国内需要を満たしていた。しかしその後日本の綿紡績産業は世界細大に発達し、安価な外国の原綿を輸入するようになった。このため国内のワタ栽培は急速に減少し、いまでは栽培は皆無の状態である。
 ワタ(綿花)の生産は世界全体で約1,700万トン、国別では中国を筆答に、アメリカ、ソ連、インドなどが主産国である。また同時に綿の種子(綿実)が綿花の約2倍、3,500万トンほど生産されている。

〔利用〕

 ワタは綿糸、綿織物など紡績用にされる。繊維が短いなど品質に劣るものは、ふとんの中入れ綿や脱脂綿などにされるほかに、綿火薬や種々の充填材に使われる。
 綿実は圧搾または溶媒抽出により油をとる。綿実油はリノール酸40~50%、オレイン酸20~70%、パルミチン酸20%を含む半乾性油で、良品質、しかも安価なためてんぷら油などに多く用いられる。冷却法で固形分を除いたものを冬油とよび、サラダ油、マヨネーズ油として適する。またマーガリン原料となり、動物脂と混ぜてラードもつくられる。このほか、せっけんなどの原料にされる。油を搾った綿実粕は、飼料や肥料として利用される。

〔文化史〕

 もっとも重要な天然繊維であり、有史前から新旧両大陸で独自に開発利用された。衣服以外にペルーのワカ・プリエタ遺跡からは漁網が出土し、現在もアマゾンのインディオは吹矢の鏃(やじり)に使う。アフリカでは、種子を長時間煮て、突き砕き、皮を除いて団子状に丸め発酵させた伝統的食品のダウダウがある。
 ワタの日本への渡来は8世紀末で、それ以前『万葉集』に詠まれる綿(巻14、3354など)はカイコの繭からとった真綿で、木綿はコウゾとみられる。『日本後紀』の延暦18年(799)7月条に三河(愛知県)に天竺人と称する男(唐人は崑崙人とみる)が漂着しワタの種子を伝えたとの記録がある。このワタの種子はのち、紀伊、阿波、讃岐、伊予、土佐および太宰府管内に植えさせたという(『類聚国史』延暦19年4月条)。そのおりワタの種を入れていたとされる壺が、西尾市天竹町の天竹社(綿神)に宝物として伝わる。9世紀、綿の生産は伸び、太宰府では884年(元慶8)絹の4倍にあたる8万屯に達した(『三代実録』)。その後は不作で衰退し、『源氏物語』の「橋姫」には、「絹や綿などを数多くお贈りになる」との表現がみられるが、平安後期から室町時代にかけては、三河地方などで細々とつくり継がれるにすぎなかった。16世紀、朝鮮や中国から新しい品種が渡来し、生産は息を吹き返し、江戸時代は庶民の衣服用に定着した。
 ワタ栽培には、多数の労働力を必要とする。アメリカ合衆国南東部の綿花地帯は19世紀には世界最大の綿生産地となり、それを支えた奴隷制は南北戦争を引き起こした。(湯浅浩史)

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