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大和の綿作 ― 歴史的背景 ―

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 大和国(奈良県)の綿作に関する資料・文献を、論文(抜粋)の註において紹介しています。ぜひ、本文抜粋と合わせて註にもご注目ください。

論文のタイトルは「教祖伝の時代と大和の綿作」、掲載誌は『天理教校論叢』第46号(令和3年、2021発行)です。

 中山みき天理教教祖(寛政10年1798~明治20年1887)の伝記本である『稿本天理教教祖伝』(天理教教会本部編)と、逸話集である『稿本天理教教祖伝逸話篇』(同)に登場する綿作、機織りに関する記述に焦点を当て、その歴史的背景についての整理を試みたものでもあります。

『天理教校論叢』は、天理大学附属天理図書館にて閲覧が可能です。
下記は上記論文の提出原稿の抜粋です。本来は縦書きの原稿を横書きに書式変換しています。
本文を参照されるにあたっては、まず以下の文章にお目通しください。

『論文をお読みいただく前に』 (PDF)

本文抜粋と註抜粋は、以下の通りです。      

「教祖伝の時代と大和の綿作」本文/抜粋
「教祖伝の時代と大和の綿作」註/抜粋

以下に、その一部を紹介させていただきます。

 梅田正之「教祖伝の時代と大和の綿作」『天理教校論叢』第46号より                   

 【本文】 
 一、大和の綿作の歴史

 教祖伝の時代、すなわち江戸時代から明治時代の中頃にかけて、大和においては綿作がさかんに行われていた。そこでまず、大和における綿作の歴史について概観しておきたい。

     1、はじまりから幕末開港まで

 日本で綿の栽培が行われるようになったのは一五世紀末から一六世紀にかけてである。綿の国内栽培によってもたらされた木綿製品は、従来の民衆の衣生活を大きく変えることになった。それまでの麻をはじめとする綿以外の植物繊維では得られなかった着心地、保温性、吸湿性、加工のしやすさ、シルエットの美しさが人々に受け入れられ、染付けもよく丈夫な木綿は貴重な衣料素材として急速に庶民の間に広まっていった。綿の栽培は次第に全国に広がり、糸紡ぎや機織りは、農家の女性にとっては日々の暮らしに欠かすことのできない生活技術となった。綿花の需要はいくらでもあり、やがて綿は商品作物としてさまざまな形に加工され、流通し、江戸時代を通じて日本の農業や農村を含めた社会、経済構造そのものにも大きな影響を与えることになっていった(1)。

【註】
1、日本における綿の栽培と普及の歴史、社会に及ぼした影響等についてはこれまでに多くの研究成果が発表されている。栽培の起源については文献によって多少異なる見解がみられ、本稿ではおもに永原慶二『新・木綿以前のこと』(中公新書、一九九〇年)、同『苧麻・絹・木綿の社会史』(吉川弘文館、二〇〇四年)、柳田國男『木綿以前の事』(岩波文庫、一九七九年)に拠った。

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